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会社員辞めてから接骨院開業まで-序④-


▶開業まで

新しくきたエリア代表は、ロジカルな人だった。

今までは体育会系の″気合・根性・ひたすら行動”のタイプではなかった。

単純に今まで営業の基礎というものを教わったことがなく、訪問する中で雰囲気をつかめ!とりあえず経験だ!ということだけを言われ続けていた。そのため、行動の数が評価だった。

しかし、新しく来た代表は第一段階はこのアプローチ、そこから次の手を考える、打つ手がないところに関しては理由を説明できる、もう一度と一緒に訪問した上で理解してもらい捨てると判断する。といったところまで説明を必要する人だった。それに慣れていない私たちにとっては、毎ミーティング毎ミーティング詰められる日々だった。

ただ、何を求めているかは明確に言語化してくれる人だったので、求めることを答えられるようになっていけば詰められることはなくなっていった。

上司が答えてほしいことを自分なりにフォーマット化して、ミーティングまでにそれに沿った行動をとっていけば、困ることは無かった。

そうすると、やることもなくなって行ったため、またダラダラと仕事する日々に戻っていった。

ダラダラ仕事しているが、評価はされる。

余裕だなーと思う反面やはり、やる気がでない。

このままダラダラ続けるだけでは自分が無になっていく。

仕事が楽しくない。やりたくない。と言い続けている自分も嫌だった。

しかも、楽な仕事をしているくせにこんなこと言うのは贅沢ではないか。と

わけのわからない罪悪感まで芽生えていた。

よし、辞めよう。

2週間後にちょうど面談の予定が入っていたので、その時に伝えよう。

そう決心した。

_____

あいかわらず、男性の同僚はミーティングの度に、詰められ続けていた。

エリア代表と課長と同僚男性の3者面談でもかなり詰められていたようで、彼はとうとう出勤できなくなってしまった。

ある日突然人事部へ診断書を提出しそこから出勤することは無かった。

1名休職してしまったが、急な人員補給をできる体制にもなく、課長が兼任してその場を埋めることとなった。

どう考えても人手不足だが、会社の状況を気にしていては、いつまでたっても自分が進めない。

課長のことは慕っており、申し訳ない気持ちはあったが、退職を申し出た。

「3ヶ月後に退職させてください。」

課長はとても驚いていたが、受け入れてくれた。

そこからすぐに何かが変わるわけではなく、粛々とまだ居ない後任のための引継ぎ資料の作成を始めた。

そもそも、引継ぎ資料や業務マニュアルが一切なかったため急に配属された時に困ることが多かった。

最悪、直接引継ぎできなくてもこの資料があれば、配属先に迷惑をかけないくらいの資料を作成した。

引継ぎ資料作成に専念していた私は、課長の状況をわかっていなかった_____

⑤へ続く。

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