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会社員辞めてから接骨院開業まで-序③-


▶開業まで

課長が産休に入り、代表がエリアの担当をするようになって最初のミーティング。終わってから少しみんなで雑談をしていると代表が唐突に口を開いた___

「俺、パワハラで訴えられてるんだよね。」

えーーーーーーーー。

でしょうね。笑

代表「パワハラ研修受けなきゃいけないんだけど、何がパワハラか俺にはわかんないんだよ。」

えーーーっと。

困惑する同僚と私。

話し続ける代表

「わかんないからパワハラだと思ったら言って。」

言えないのがパワハラでは???

と言いたいことも言えず、なんとなく微妙な雰囲気のまま代表が帰った

残された同僚と私…。

…爆笑

気まずさから生まれた何とも言えない空気に笑うしかなかった。

ちなみにこの上司、私の担当エリアではまだ課長が女性なこともあり大人しかったのだが、別エリアでの噂はひどかった。

月2回のミーティングで誰か泣くのは当たり前。

提案はことごとく否定されるが、発言しないと怒鳴られる。

怒られすぎて失神し倒れた人もいるらしいが、倒れてもなお怒鳴り続けていたらしい。

そんな熱量を仕事に注げるのもすごいものだが…

パワハラ研修のおかげで?課長が育休から戻ってくるまでのミーティングで代表が怒鳴ることはなかった。(同僚が怒られ地獄の空気になるのは毎回のことだが)

実際、仕事はなにをしていたかというと営業で基本は車移動

私の担当先は予算を達成している部署だったので、トラブル・クレーム処理以外は基本的にルート営業さえしていれば暇だった。

ほぼ丸一日寝ている日も多かった。

たまに起きて電話対応、既存客への対応を行い

終わったらまた寝る。

読んでいる漫画の発売日には本屋によって漫画を読む。

予算管理や営業報告は要領さえつかめれば、難しいことではなかった。

担当が1人になったのが早く心配ではあったが、予算達成さえしていれば文句は言われなかったので、わからないことは同僚に聞きながらやっていけたので、なんとかなった。慣れるのは早かった。

上司との関係性も良好だったため、仕事に関して心配されていることはなかったので、自由にできていた。

だらだらと仕事をし続けている中で、課長が育休から復帰した。

そして、社内の人員配置の整理があり代表が違うエリアへ行き、新しいエリア代表が配属された。

この新しいエリア代表も一波乱、二波乱?起こすのだった____

④へ続く

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